十二月大歌舞伎夜の部千秋楽(@歌舞伎座)

夜の部も2度目。やっと筋書をゲット。今月のように何度か見に来る場合、本当は最初に買っておいた方がいいとは思うんだけど、ついつい写真が出るまで待ってしまう。結果楽日まで筋書なしで通すことになった。本末転倒。
で、その筋書を、今回は芝のぶちゃんが卿の君だけで残念だわと思いながら読んでいて知ったんだけど、弁慶上使のしのぶと卿の君って二役やるのが普通なのね。なるほど。

重の井

福助って安定してるなあ。果たして安定と言う言葉を使うのが正しいのかどうかはわからないけれど、「自分が演るならこれ以外ない」ってのがものすごくはっきりしてるんだろうなあ*1。安定してると言えば児太郎も。三吉ってもっと年少の子供の役ってイメージで*2、演技どうこうよりも小さな子供が頑張ってお芝居してる健気さを観るものだと思っていた。年端も行かない子供が昼は馬を追って夜は沓を打ってるって聞けば、それだけで切ないし。児太郎はただ舞台に立つだけで健気に感じられるような年齢ではないから、無条件の切なさは少ない。本人はそんなこと意識しちゃいないだろうが、その分をきちんとしたお芝居で見せてくれたと思う。しかし歌舞伎における子役の演技って「一本調子にしないといけない」みたいな決まり事があるんだろうけど、どうしてなんだろ。
あとは、若菜の天然ぶりに、さらに磨きがかかったような。例えば勘太郎で見たとしたらきっと、「はしゃいで見せてはいるけれど、内心必死に姫の気持ちを盛り上げようとしている腰元」に見えたんじゃないかと思うが、七之助の場合だと、特に深くは考えず「なんかこのゲーム楽しそうだしー、姫さまのご機嫌も直ると思うしー」と、なんの根拠もなく自信満々の腰元に見える。あっけらかーんと三吉を追い返そうとするあたり、こういう「空気の読めない、読む気もない娘」ってハマリ役なんじゃなかろうか。

船弁慶

やっぱりカモメには高尚すぎです、はい。己の知識や教養のなさは認めた上で問いたいです。あれを心から楽しめる人って、あの空間にどのくらいの割合でいたんでしょうか。勘三郎登場で、劇場がふっと安心した空気に包まれたと感じたのはカモメだけでしょうか。薪車は相変わらず男前でした。

松浦の太鼓

前回は勘太郎の仕草の美しさに見とれていたら筋を逃しそうになったので、今回はきちんと全体に集中。弥十郎の芝居って誰かを彷彿とさせると時々思っていたが、夢の遊眠社時代の田山涼成さんだと気づいた。

*1:歌舞伎には型ってものがあってそれを継承してゆく演劇だということはわかってるんだけど、他の役者さんより意固地なものを感じる。

*2:設定では児太郎と同じくらいの年齢なのね。知らなかった。