『今度は僕が猫の役をやる、君は鼠をやってくれ。』

16歳の女の子が母親に毒を盛ったとか盛らないとか。彼女がクロだと仮定しての感想。
子供が親を殺そうとした、殺したという事件には、たいてい「普段から勉強しろとうるさく言われていて」「生活態度のことで口論になって」等々の下地があり、結果「かっとなって刺した」とか「殴ったら死んじゃった」となるというイメージがある。けれど、タリウムを薬局で取り寄せてもらうよう手配し、購入し、母親の食事に混ぜ(?)という一連の行為には「つい不満が爆発して」なんてニオイはこれっぽっちもない。実験、だったのか?
彼女のブログの一部分をキャッシュで読み、不思議な感じがした。
たとえば、自傷を繰り返して写真を撮り「見て見て、私こんなに(心が)傷ついてるの」と宣伝しているような人たちがいる。その手の人たちは「誰もわかってくれないけど、別に構わない」と言いながらも、本人が意識しているか否かにかかわらず、その実「誰か私を理解して」と訴えているように感じる。彼らの世界は、一見閉じられているようでいて、実は他者に対して開かれている。でもってその文章は、たいてい「かわいそうな私」への自己陶酔と自己憐憫に充ち満ちた、詩のような散文のような(椎名林檎を安くしたような)ものだ。
翻ってこの16歳の世界は、本当に自閉している。ムキになって他者を拒否している(ふりをしている)のではなくて、諦観という言葉が浮かんでくるような。「詩のような散文のような」ものにも温度や湿度がなく、ただただ淡々と自分の周囲を眺めているといった印象。じゃあまったく感情が感じられない文章なのかというと、そうではない。たとえ世界に絶望しても、「私ってこんなに不幸」という方向に行かずにその絶望を語ることができる能力のある人なんじゃないかと思う。加えて化学なんていう実用的な知識があり、服毒自殺を図るしたたかさ*1を持っているんだから、何かがズレなければ将来はどうにでもなっただろうにとも思う。ま、いくら将来がどうにでもなったって、現在がどうにもならなければ辛いんだけどさ。

*1:だって、それだけの知識があって本気で死のうとしているのなら、未遂ではすまないよねえ、普通。素人考えですか。